鴨下真吾

吉祥寺という街へは自転車で15分。
狭いバス通りを避けて裏道を使って行ったもんだ。
中学生から高校生の頃は現在のLOFTはみどり屋というデパートになっていて、3Fにヤマハがあった。

楽器の並ぶ店の向かって左側がスタジオ
右手にはキャパシティ100くらいのホールが併設されていた。

フジテレビで日曜日の昼下がり『HOT TV』という番組が放送されていた。
TBSの『イカ天』なんかよりずっと前だ。

勝ち抜きバンド合戦のようなその番組に、ある時出演したThe BUDOKANというバンド。
4人編成で、ハードなロックを演奏していた。

キャロルに魅せられ、矢沢永吉にワクワクし、SEIKOのCM『ヒーローになる時、それは今』というコピーでド肝を抜かれた甲斐バンド。
ザ・ベストテン世代の誰もが憧れたであろう世良公則。

そことは違う匂い。

産業に乗った音楽ではなく、貪欲さみたいなものを感じた映像だったのを覚えてる。
身震いした。

ルーツというのは紐解くのは難しい。
自らも忘れてる事も多々ある。
ただ、キーマンとか、キーポイントみたいなものは例えそれが抽象的だったとしても鮮明に覚えてるもんだ。
それはやはり衝撃的なものだったから。

鴨下慎吾の歌う姿、ギターの演奏力は凄まじいものがあった。

時が少しだけ流れ、吉祥寺のヤマハに月に一度のサロンコンサートなるフリーコンサートに足を運び出した中学生の頃。
半ドンで終わった土曜日。
制服を着替えてワクワクしながらサロンに行った。
浜田麻里はまだミスティキャッツというレディスバンドで、LOVE、セクシーマネー、ギャオス、コンセントピックス…
そんな中にThe BUDOKANの名もあった。

夢中だった。

誰にでもアイドルが存在するように
僕にとってのアイドルは鴨下慎吾に他ならない。
フェイバリット、憧れ…

もはや僕は『自分自身が楽しむための音楽』という領域はない。
捨てたとかそんな事じゃないし、悪い事でも何でもない。
普段、音楽なんて聞かないし、楽しめない。

だけどライヴやレコーディングは違う。
その一瞬一瞬、オーディエンスやリスナーよりも存分に楽しんでる。
今回のライヴでは、大好きなメンバー、大好きなアーティスト達と心の底から楽しむ事が出来た。

そんな空間を作ってくれた、関わる全ての方に
感謝してます。

愛子、潤一郎、アキラ、伴さん、淳一、研さん、鴨下さん、440、応援して下さる皆さん、愛すべきひと…
本当にありがとう。

投稿者: kazuhiko-iguchi

1966/11/23 東京都出身 1988年 THE HEARTのヴォーカル&ギターとして、MotherEnterprise、Mother and Childrenレーベルよりデビュー。 1992年のバンド解散後はソロとして活動。 2005年の再結成を経て、 2016年本人の再始動と秋の再結成を発表。

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